ぐうたらのひとしずく

生きる意味を探す旅

藤野和子
弘前大谷幼稚園 園長
【村民大楽2018】汐見稔幸の人間学4回シリーズ
投稿日:2019年5月6日

「わたしってなに?」「なぜ生まれてきたの?」「人間ってなに?」私は、小学校の頃からずっと、このことで悩み続けている。未だにわからない。僧侶で、学校の先生だった父が創設した幼稚園を、継ぐことになって9年。園で出会う小さな人たちに人間にしてもらっているような毎日だけどそれでも自分が何なのか、人間がなんなのかわからない。人間は好き。大好き。それなのに、いつも人間を傷つけたり傷つけられたりしながら生きている。上手な生き方を私は知らない。そんなわたしが小さな人たちにいったい何ができるのだろうか?この小さな人たちは私に何を伝えようとしているのだろうか?

子どものそばに居る人が立ち止まり、ラディカルに、保育や教育を原理から考え、保育や教育の実践から原理を探る。そういう学び合いの場に一定期間継続してくることでなにか見つかるかもしれないと、そんな思いで受講した「人間学」。この四か月間、次の講義までの日常を生きる時間もこのことを考えて過ごしたことは、わたしにとって大きな財産になったと思う。4か月。たった4か月・・・。こんな短い期間だというのに始まりと終わりでは全く違った私がいる。

「諸行無常」「一切皆苦」この世のすべてに常は無く、すべてのものは苦しみだとお釈迦様はおっしゃった。つまり、今、私の身に起こっていることは当たり前のこと。当たり前のことなのに、どうして苦しくて、悲しくて、それでも生きていかなければならないのはなぜだろう?
私はいつも間違える。いつも人に傷つけられ、だけど知らず知らずのうちに同じように人を傷つけながら生きている。迷惑をかけながらしか生きてゆけないわがままで、自分勝手な人間。誰かに依存し、だれかを愛し、そして誰かに愛され自分の存在を受容されたいと常に何かを欲して生きている欲深い人間。だけど、今、この瞬間、今、私が感じたそのままを言葉にしていくことは、わたしが生きる意味を知ることにもつながるかもしれない。また、一歩前へまた歩き出せるかもしれない。そう思いながら、「汐見先生の人間学」に触れ、いま思う事を書いてみようと思った。

最後の講義の冒頭に、小西さんが、研究者と実践者の物事の捉え方や思考の違いを話してくださった。いま、私に必要なのは、人間を実践しているわたしのいのちが一度留まって人間を考えるという事。

第1回目、初めて出会う人が多い中、少し緊張しながら始まった。

最初に投げかけられた問いは「人間って何だと思いますか?」という問い。

私は人間。ヒト科のメス。多分人間なはず?だけど未だ不完全な人間…。自分が人間という言葉から考えることを語り、他者の考えを聞く。しっかり「聞く」という事を通して自分自身の「人間」についての思いがより深まったり広がったりしていく感覚を感じながら、学び合う仲間がいることがとっても嬉しく感じた。そして、ここでこれから出会う未知との遭遇にわくわくした。新しいこと、知らないことを知り、なにかを発見することができるかもしれないと考えるとワクワクした。

人は常に人と人の間で存在する。人間は関係的存在であり、生まれ出たその時から一人では生きていけない。そして未熟なまま生まれ未完成のまま死んでいく。

人生は常に選びになかにあって、常に喪失体験の繰り返しである。だからこそ、自分のいのちを信頼し、生きていく力が必要なのだと思う。しかし、現代社会は悲しむことやネガティブなことをゆるさない。こどもでさえ泣くことが許さない社会。悲しむことはそんなにいけないことなのか?また、喪失や選びを繰り返しながら生きていかなければならないことを頭では理解していても、苦しい状況を見たくない心理からか、しっかりと留まって考えることを避け、ほかのことに時間や動力を使い、見ないふりをして、誤魔化しながら時間が経つのを待ったり、その先の人生を生きることをやめることさえ真剣に考えてしまうこともある。

「いのちはどんな時も、生きることしか考えていないのよ」

これは、横浜の西教寺の坊守で幼稚園の副園長先生を長く勤められていた私のお母さんのような存在の先生に言われた言葉。
どんな困難があっても生きなければ・・・。

わたしの中のいのちはわたしのいのちではない。いつかお浄土にお還しする日がくるまで、大切にお預かりしているだけ。いのちをわたしが生きているのではなく、いのちが私を生きているのだ。すべてはご縁のみが知っている。ただそこにお任せするしかない私のいのち。私のご縁。私の中のいのち・・・。

そうは言ってもやっぱり簡単ではない。大事な人を失うって生きる希望も断たれた気持ちになる。目の前が真っ暗になる。未来が見えなくなる。

『悲しみを生きる力に』入江杏著(岩波ジュニア新書)の中で、「突然の喪失体験をいっそう苦しめるものは「なぜ?」という疑問だとある。「なぜ?」問えば問うほど、答えのないことが苦しく感じられる。」と書いてあった。また、死生学では、悲嘆からの回復を困難にするもっとも大きな要因の一つとして、「曖昧な喪失」を挙げている。原因がはっきりしないまま、宙ぶらりんな状態が続くのは本当に苦しいことだとも書かれていた。

喪失体験(グリーフ)には様々なものがある。そして、その悲しみの大きさは、その人にしかわからない。

「人間学」第4回目の講義の中で、保育を行うのに、どうして人間学を学ぶことが大事なのかを改めて考えるとし、「自立」と「依存」について考えた。江戸時代の人々と現代人ではどちらが自立力が高いのか?自立とはなにか?また、複雑な依存関係における「自立」とは何か?

わたしは子どもの頃、どこに行っても「わたし」として呼ばれたことが無かった。「藤野先生の子ども」「住職のこども」「園長の子ども」いつも誰かの付属品としてしか見られなかった。世襲制が常識だったお寺という組織のお家の中では三女で末っ子の私は「男に産まれたらよかったのに。」「跡取りじゃないからどっちでもいい。どううでもいい」と母親に言われた。姉が産まれて間もなく死んでいるので、今度は男だと思って産んだだけとも言われた。学校でも、人見知りで無口で取り柄もない私は、静かにしていてもなぜか「目立つ」って言われていじめられた。「わたしはいらない人間」ずっとそういう思いばかりが膨らんでいた。ずっと家を出ることを考え、高校進学で家を出た。20歳を過ぎ、夢だけ追いかける私に母親は、「あなたのお父さんは立派な仕事をしているのだからそんなことするな。」「こどもなんだから用意したレールをあるきなさい」「お姉ちゃんと同じ学校に行かせたのに。お姉ちゃんはちゃんとしているのに。」「女のくせに・・・」母親はいつもいつも私の存在を否定した。きっとわたしが息を吸うやり方も全部嫌われてるんだと思った。

「わたしはわたし。わたしの人生は自分の足で歩く。親が引いたレールの上なんか歩かない。同じ学校に行ったからって同じ人になるわけない。」そう言ってから母親とは連絡も取らず違う仕事をしようと思って必死だった。だけど全然うまく生きることができず、常に生きづらさがあった。そんな私を黙って見守ってくれたのはお父さんだった。

自分の足で歩くって、そうは言っても生きることは簡単じゃない。信じた人に裏切られて何かを失うことだってある。だけど、そんなときでも、人間に絶望せずに生きようとすればするほど、空回りして上手に前に進めなくなったりする。20代のあの頃の私もそうだった。今も同じかもしれない。成長しない私。どうしようもない馬鹿な私。

あの頃、「もう生きていくのが嫌だ、誰も信じられない」そういって父に会いに京都に行った。なにがどんな嫌だったのか、自分はどんなに醜い人間かを一通り話した。未来は絶望しかないことを泣きながら話した。

父はだまって話を聞いて、「君はまだ生きれる。身なりを整えて人に見られていることもちゃんとわかってきれいにして新幹線に乗ってここまで来たのだから、大丈夫。まだ生きれる。」そう言って万年筆を取り出してテーブルのわきにあった灰皿に置かれた喫茶店のマッチの箱を破り書いてくれた言葉。

「人間として、頑張れ」

そして、喫茶店を後にエレベーターに乗り二人きりになった時、「どんな仕事でもいい。どんな仕事も尊いのだから、精一杯生きなさい。好きなことをしたらいい。ただ、人を騙してお金儲けをするような事はするな。もし君がそんなことをするようになったら、君をつくったのは僕だから、君を殺して僕も死ぬ。」パパがそう言った瞬間、エレベーターの扉が閉まった。空気が張りつめて一瞬止まった。本当に殺されるかもしれないと思った。

さっきまでもう生きていきたくない理由を話し続け、死にたかったくせに、その張りつめた空気に恐怖を覚え、わたしは自分が生きようとしていることを知った。

あの時の父の悲しみでいっぱいになった小さな背中。痩せて小さかったけど強い背中。その風景は今でも忘れられない。そして、父にそんな怖いことを言わせたのは紛れもない私自身。今も私の中に罪悪感がある。

パパに謝りたい。もしももう一度会えたらもしもパパが生き返って一度だけ話ができたら・・・

父が浄土に還って9年。私は転がりながら生きて、今は父が一番大事にしていた幼稚園で、小さな人たちとともに生きている。

私は毎日考える。この小さな人間は、毎日私を真っ直ぐ見つめてくれる。こんな人間失格のような私を人間として見つめる。その度に、ただ身体が大きいだけの私は人間に近づいていくような感じさえしている。私を人間らしくしてくれるこの小さな人たちに、なにかできることがあるとしたら何があるのだろうか?本当にこれでいいのだろうか?いつも疑問ばかり。毎日毎日考える。

ある時「それでいいんだよ」って私に優しい希望の光を当ててくれた人との出会いがあった。その言葉は私を安心させた。とっても大切な存在だった。

人はすぐに勘違いする生き物だから、甘やかされ、調子に乗って勘違いしていく私に喝を入れるように、大事なその人は居なくなった。

父が死んでしまったあとの何年間かの間もずっとそうだった。涙が止まらなくてずっと泣いていた。でも、それでもしっかり目を開いて生きていきたいと思う私がいた。それでも悲しみは何度でも現れる。涙は突然溢れ出す。年数が経つと、いつまでも泣いているな、と言う人まで現れる。また愛する人を亡くしてしまうんじゃないかという恐怖心。ずっと一人で抱えることのしんどさ。いろいろな思いが常に私のなかにあった。そんなことさえも包み込んでくれるような優しい人との出会いは私に生きる勇気をくれた。

なぜ人は人を愛すのだろう?愛って何なのだろう。

誰かを好きになり、だれかを愛するとき、本当にその人自身を愛しているのか。それとも、その姿や形だけを愛しているのかをよく考えなければいけないのだと思う。私はいつも言葉にとらわれてしまうけど、きっと言葉ではないのだとも思う。言葉を真に受けるなってしかられたこともあるけど、言葉の意味を考えていくことは、時には安心や本質を知ることにもつながるように思う。そして、言葉は生きる力もくれる。

「真実の愛」そんなものはこの世にあるのだろうか?「結婚」ってどんな意味があるのだろうか?私はこの世の中のいろんなことが理解できないみたいだ。

「如来の大悲」「無縁の慈悲」といわれる大きく深い愛は、どれだけ背かれても、全て許すことのできる愛である。それは、あらゆる条件を超えた愛の象徴。

本物の愛を求めてひとは生きる。愛する人の存在は生きがいを与える。愛に包まれると心が豊かになる。安らぎに包まれる。しかし、その反面、胸が痛み食事ものどが通らなくなり苦しくつらい思いに悩まされる。愛は楽しさと共に苦しみも多い。愛する感情は、自分の中に起こる感情。しかし、自分の意志で自由にはならない。誰かを好きになるとか、嫌いになるとか、好きになろうとしてなれるものではない。また、嫌いになろうとしてなれるものでもない。なりたくなくても自然にそうなってしまう不合理な感情。

愛はやがて執着になり、大切な人を苦しめてしまうことも起こる。醜い執着の心はきっと純粋な愛の姿とは似ても似つかないものなのだろう。

また、人生は、いつもどんな時も選びの中にあって、何かを得れば何かを失う。常に人は喪失体験を繰り返しながら生きていく。そこから逃げ出すことはできない。

人生に起こる苦しみや悲しみ。生きていたらつらいことがいろいろ起こる。その意味がわからなくてずっとずっと一人深い闇に入っていくこともある。でも、また人や言葉と出会い、温もりを感じ、独りじゃないんだって、人間ていいなって、きっとまた思い直しながら、生きなおしていくのだと思う。

「人間学」最後の日、未来をどう生きていいかわからなくなった私は、ただただ涙だけが溢れ、どうしても止めることができずにいた。
どう見ても変な人だったと思う。それでもそのままの私を受け入れてくれたこの場の温かさに救われ、感情に溺れないように必死でノートをとった。

何の本だったか忘れたのだけど、柳宗悦の言葉で「悲しさとはともに悲しむものがある時、温もりを覚える。悲しむことは温めることである。悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しさは慈しみでありまた「愛しみ」である。」という言葉を思い出した。

あの日、温かくて優しい体温を感じられるような場の力がそこにはあった。昔の人は共感することが上手だったと聞く。今の子どもたちは子どもなのに泣くことも許されず、ネガティブなことを友達に言う事もできない。

いま必要なのは、ありのままでいいよ。と言える場ではないのか。私がこの日感じたような場を創ることがわたしの仕事なんだと分かった。

人間大楽で「人間学」を受ける前の話になるが、汐見先生が私に向けた言葉として、本に「新しい仏教保育を」という言葉を書いてくれたことがあった。あれからずっと考えていた。仏教と保育という言葉の意味。

まだ答えは見つかっていないけど、不完全な私が不完全なまま、目の前のこどもの声に耳を傾けながらともに生きること。不完全さに気づきながら学び続ける。小さな人たちのいのちとともにそこに生きる。一緒に考える。それが答えなのかはわからないけど、出会ってくれる小さな人間に、常に「ありがとう」を言いながら、そうやって生きていくこと。人間について考えていくこと。それがそのまま仏教保育なのではいないのな?と、今思う。そして、社会全体が、痛みを共有できる社会になって欲しいと願う。

大切な人を失った時、その悲しみは簡単になくなるものではないと思う。なかったことにはできない。乗り越えるって言葉があるけど、そんなこともできるはずがない。越えることなんてありえない。

「人間学」最後の日に汐見先生が、本の表紙の裏に書いてくれたのは「希望を」という言葉だった。この日の私は誰が見たってボロボロな状態だった。その私にくれた「希望」という言葉。

「希望」とはどんな意味があるのだろう?

そうか、悲しみを忘れてしまったら宝物を失くしてしまうってことになる。悲しみを持ち続け、その意味を考え続けるからこそ、未来は開かれていくのではないか。悲しみを持ち続け、痛む心があるからこそ、人々と「共に」と言える世界がみえるのではないか。

だから、「希望を」って書いたんだ。

きっとそうだって、勝手な解釈だけどそう思ったら、今のどうしようもない馬鹿みたいな私を私が許し、私を抱えて生きる覚悟というか、自覚に目ざめたように思う。

とっても大切な人との出会いは、この苦しみや悲しみから目を背けないで抱えて生きることで初めて希望が生まれることを私に知らせるための出会いだったのではないか。そう思うとまた涙が溢れた。「ありがとう」をきちんと伝えたかった・・・。

「本願力に遇いぬれば虚しく過ぐる人ぞなき」(『真宗聖典』490項)

これは、親鸞聖人の高僧和讃の中の言葉。人は自分自身が苦しむのもつらいが、他人が苦しんでいるのもつらい。そのつらい苦悩の場が自分のすみかになるという事は、知らぬ間に頂いていたみなぎる力が働いていた、という事を讃えた和讃。まさに今、この親鸞聖人の言葉が私の中で響いている。

これまで私は「自立」という言葉を深く考えず、知ったかぶりのような形で幼稚園の中でもよく使ってきたが、私はようやくいま、こんな年になって、やっと、自らの自立にむかって歩き出したともいえる。

「自立」とは、キリスト社会では誰かに随う、仕えるという事。それがsubjectで、subject to誰某とつかう。自立と訳すとおかしくなるので、従属化という方が正解で、何かにあるいは誰かに従属化することで、自立状態になる。と汐見先生は教えてくださいました。

私はまだそのことの意味がよくわからない。

「自立」と「依存」という言葉は、「自力」と「他力」と言っているようにも聞こえる。

自立と依存は反対のことのように聞こえるけど、本当は別のことではなくて、上手に依存できる人が自立した人だという。多分「自力」と「他力」も同じで、別々のことではなく一つのことなのではないかなあと思う。また、「他力」というと、他人の助力や人任せのようにとらえて、他力本願はよくないってその言葉を使うひとがいるけど、本当は「他力」は人任せにすることではないし、依存もきっとただ誰かにぶら下がってるだけではないと思う。

「他力というは、如来の本願力なり」親鸞『教行信証』(『真宗聖典』P193)

大谷大学のホームページによると、「親鸞が他力をよりどころとして生きると言うのは、これら中心を持った願いにしたがって生きるのではありません。自分からは一番遠いもの、むしろまったく反対の側からの、まさに「自」から言えば絶対的に「他」であるものからの願いを聞きとめて生きることを意味します。その私の願いから最も遠いものが、阿弥陀仏の本願と言われるのです。 私の社会、私の国、私たち人間という一切の立場を離れた最も遠い存在から、私たちはいったい何が願われているのでしょうか。「私の立場」を優先させることを捨てて、このことに耳を傾けながら生きようとする態度を、自力を離れて他力をたのむと言うのです。」と書かれていた。

私が「自立」や「依存」の本当の意味を実感としてわかるには、まだ時間がかかるかもしれない。でも、きっとこれから実感としてわかる時がくることを信じてわたしは生きていきたいと思う。

生きていくことは本当に簡単じゃなくて、常に迷いの中にいる。でも、自らの問題や目の前の出来事から逃げないで、自分自身の問題としっかり対話することでわたしは私のいのちを受容し、どんな時も私らしく生きることができるようになるのではないかと思う。

私は人間が大好きだ。私を悲しませたり苦しめたりするのも人間だけど、大きな愛で包み込み、温もりや言葉で私を安心させてくれるのも人間だ。私は人間が大好きだ。

常に人間を信じて人間を愛して、お預かりしているいのちを還す日が来るまで、わたしは精一杯生きる。

柳田邦男の『言葉が立ち上がる時』(平凡社)で知った工藤直子の『小さい詩集 あいたくて』(大日図書)の中の「あいたくて」という詩。

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきた

そんな気がするのだけど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのか

柳田邦男さんはこの本のなかで「この詩を、二度、三度と暗誦するうちに、亡き息子、洋二郎の声が、突然この詩の言葉にかぶさるように聞こえてきたのだ」と書いてあった。

わたしも同じように、この本を開き出会った時、この詩に魅せられ、胸がぎゅうってなって、ものすごく切なくて愛しくてそんな初恋みたいな感じがした。

きっと未来っていうものには、そんな初恋みたいな、なんか切なくて温かい感覚に包まれた優しい希望がたくさんあるのかな?と思う。

人間って不思議。まだ知らない先を想像しながら勝手に悲しむこともあるのに、こんな風に勝手にちょっと幸せな気持ちにもなれる。

結局、人間って何なのか、わたしって何なのか。その答えはわからない。でも、きっと、わからないから生きることはワクワクの連続で、素晴らしいことなのだと思う。

小さな人たちは今日もキラキラしながらわたしを見つけてまっすぐ走ってきてくれた。こんな迷いだらけの何者かわからないわたしに、まっすぐ飛び込んできてくれる。

本当に、ありがとう。

全てはご縁のみが知っている。私にとって、都合のいいご縁も都合の悪いご縁も、どんなご縁も私の宝物。すべての出会いに、今、私は心から感謝しています。

そして、私を産んでくれた母親に、「私を生んでくれてありがとう。わたしは人間でよかった。」って伝えたいと思う。