ぐうたらのひとしずく

けんせつてきまなびちゅうどくせいぞうじょ

守谷 靖
学校法人太陽学園所沢ひまわり幼稚園
【村民大学2020】汐見稔幸の人間学
投稿日:2021年5月4日

本日の八ヶ岳南麓の天候は........不明。本日も、本日も、ついに最終日も..不明。

今年の「人間学」は、やむを得ぬ仕儀にてzoomによる開催とあいなった。先ほど、最終回終了。最終回を終えての取れたての感想は、「うぇー、また、迷子になっちまったよー!」。

おかしいな? 最初はガイドの人がいたはずなのに?たしか、この森林の入り口までは一緒に来てくれていた。

ガイドは入り口付近では、「人類史」やら「宗教」やら、「どこが保育と??」と思うようなことを話していたので、てっきり今年はそっち方面のルートでこの森林を散策するのかと思っていた。

晩秋そして年末の八ヶ岳南麓はそこそこの寒さで、都会とは違う凛と澄んだ空気が漂う。ガイドはその景色を参加者に愛でさせ、参加者はその思惑通りすっかりいい気分になって森林の奥深くまで進み、自然を堪能した。(zoomだからバーチャルだけど)

が、である。「またかー」なのである。 いつの間にかガイドが私たちを残して森林から消えたらしい。紙切れを1枚残して…。

 

「ヒトをヒトたらしめているものは何か?」

 

この問いに「自分なりの回答」をしないとこの深い森林から出られないようだ。いい気分になって忘れていたが、そういえばこの「自分なりの回答」が「人間学」の「オキテ」だった。

ひゃー、たいへん! ノーヒント。参考文献? ないない!

たとえどんな回答をしても、あのガイドが「そーねー、それもあるねー」ということはハナからわかっている。ところが運の悪いことに、置き去りにされた参加者は世にもまじめな人たちの集団。

「私はこう思うのですが、あなたはどうですか?」「うーん、私が思うには...」と真剣な議論を戦わせる人ばかり。議論が白熱して、森林から出ることを忘れるくらいの勢いなのだ。(いや、大丈夫。そこがそれ、zoomなので森林に居ながらにして自宅に戻れるって寸法だ。なんとよくできた作戦!)

 

というわけで、途中で数人ずつのグループに分かれた参加者たちは、数日間一緒に森林を経巡ったあげく、なぜか各所で「どこでもドア」を見つけ(これもzoomならでは)、ガイドの待つ森林の入り口にもどってきた。もちろん「自分なりの回答」を携えて。

学校ならここで答え合わせと解説の講義だろう。しかし、ここは「ぐうたら村民大楽」。森林からもどってきた時点(つまり、第4回のスタート直前)でこの講座の目的はすでに九分九厘達成されていたのである。(ちゃいまっか??)

 

むかしむかし、リアル大学に入学したとき、「ここで、一流の専門研究者に素晴らしい知見を教えてもらえる」と思った。しかし、4年後に卒業するときには、「自分の問題関心や疑問は全然明らかにならなかった」という、落胆に似たものを感じた。

そう、自分は「まなびかた」を間違えていたのだ。

 

「求めなければまなべない」。

社会に出てそれなりの責任を担うようになってみたら、至極当たり前のことだった。

しかし、そのとき自分はアカデミズムから離れて、子どもにもみくちゃにされながら、バスを運転し、経理伝票を自分で切り、時には保護者にコメツキバッタのように頭を下げる生活にドップリ。とてもとてもひとりでの学び直しなど不可能だった。 もう、子どもにもらうしかないんだなぁと思い、子どもから種々様々をもらった。が、なんというか、なかの仕掛けがわからないような「歯がゆさ」もずっと感じていた。

 

「人間学」は、「考え」「問い」「また考える」講座。「考え」「分かち合い」「拡げる」講座。「わかること」が多くなるのと引き換えに、「わからないこと」が何倍も増えてしまう講座。そして、恐ろしいことに「わかったふり」がバレてしまう講座。

 

参加者は、それを体験するために森林で「意図的かつ巧妙」に迷子にさせられた。それは、それぞれの「既知」を揺さぶられ、疑い、敢えて自ら壊すことでもあった。なんとガイドは、まるでトラがその子を千尋の谷に突き落とすようなことをしたのだ。

厳しいものだ。

ただ、それがクセになり、このガイドの企ての案内が来ると「ポチ」してしまうヤツも少なからずいる。

世の中結構面白いじゃないか!

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