ぐうたらのひとしずく

ぐうたら随想録

傍島千百合
保育士
【村民大学2020】汐見稔幸の人間学
投稿日:2021年5月4日

【ギフト】

どんなに時代を経て、文明や医療が進化・進歩しても変わらないものもある。

“大事なもの”はもちろんのこと。

人間にできること・できないことも。

手洗い・うがい、換気、密にならない。かなり原始的だ。

それが最大の予防だということからだって人間の“進歩”とされることも、これまで奢りであったことを示唆しているように感じる。

 

このコロナ禍によって、

自分も人間もとてもちっぽけな存在であること、

地球や自然のほんの一部でしかないこと、

生かされている存在であるということ、

それらを改めて思い知らされた。

 

生かされている存在。

自分の内なるもの。

自分の内の自然の声は何と言っているのか?

私の自然、

私の身の丈って何なのだろうか?

 

コロナ禍により、ふと足を止め、意味を問う時間が出来たり、それを人と共有し合う機会が増えたりしたことは思わぬギフトだった。

 

私は幸せな人間だ。

何をもって幸せというのかも、何をもって幸福というのかも、確かに人それぞれ違うのかもしれない。

瞬間的なことなのか、継続的なことをいうのか、それも分からない。

でも紛れもなく今私は幸せだと感じている。

困った時や大変な時、必ず誰かが支えてくれるのだ。

そういうピンチの時だけではもちろんないのだけれど。

ピンチな時、自分は独りで生きているわけではないことに気づく。

たくさんの支えにより自分が生かされていることに気づかされる。

まさにピンチはチャンスだ。贈り物だ。

 

 

【背伸び】

ある時、ある人が言った。

「背伸びしなくていいの。ずっと背伸びしてると疲れるでしょ?ずっとはできないでしょ?」と。

その時、ああそういうことだったのか!と、

私の中にひらりひらりと優しく落ちてくるものがあった。

身の丈。

持続可能ということ。

実際につま先を立てて背伸びし続ける動作は、(私にとっては長くバレエやチアリーディングをしていたので、それ程難しいことではないが、それでも)確かに背伸びをしている時は体に力が入っていて、ありのままというわけでもなく、ずっと継続的にすることは出来ないし、疲れてしまう。

 

そして、ああ私はずっと背伸びしながら生きようとしてきたのかもしれないなぁと気づいた。

子どもの頃、早く大人になりたかった。

そして誰かを助けたり守ったりできる強くて大きな人になりたかった。

きっとずっと自分ではない誰かになろうとしたり、理想の自分に近づきたくて、小さな自分から気張って少し大きくなろうとしたり、強い心に見せようとしてきた部分も多かったのかもしれないと。

だから、とても疲れやすかったのかもしれないとも。

人が大好きだけど、頼まれてもないのに勝手に気を遣いすぎてしまったり、

限られた空間の中で多く人がいると情報が多過ぎてしまって疲れてしまったり、

人の前では平気を装いつつも、つい120%の力を使い切ってしまったり。

1日に一度は1人の時間がないとヘトヘトになってしまう。

そしてグターっとタラーっとする時間が私には必要で重要だ。

 

無意識の内にも、ついつい今より善くあろう、良く見せようと欲張ってしまうのかもしれない。

無意識に背伸びをしやすいのかもしれない。

 

私も背伸びをしていた。

そして、現代人も知らぬ間に背伸びしていたんだなぁと、このコロナ禍で気づかされた。

背伸びして、欲張って、求めすぎているのだと。

きっとそれが文明や医療などを発展させてきたのだろうけど。

無理はずっとは続かない。

発展のように見えて、一方で知らず知らずのうちに壊れたり崩れたり犠牲になっていくものもきっとあって。

 

今年の3.11のテレビ特集の中で、

(確か罪の意識などから)福島へ移住した元東電営業マンだった方が過去を回想しながら、

「便利って幸せになると思っていた。でも、便利って何か捨ててる。(今の福島での暮らしは)不便だけど支え合ってる。」

と、ぽろりとこぼした表情が自分の中でずっしりと広がった感覚が今も残っている。

 

そして、ルソーが『エミール』の中で、教育というものは”未来の為に今を犠牲にすることであってはならない”ということや、「未来の幸せと現在の幸せを両立できるか?」というような、以前のぐうたら大楽での汐見村長の問いが思い出された。

未来も過去も、きっと全く別々のものではなく、相互作用し合ったり、ひとつらなりではないかと。

もちろん、今を生きるすべてのものや人もきっとひとつらなりなのだろうけれど、未来・過去・現在も含めてひとつらなりなのではないかと。

だって、すべてが影響し合ってきっと存在し合っているのだから。

 

 

【学びの構造】

学びというものは、とても面白いものだと思う。

もちろん、学ぶということも面白いが、

「学び」というものの構造がとても面白いと思う。

何かを教授されることが学びでもないし、

何かを「分かる」ということも学びの定義に値しないだろう。

「分かる」どころか、なんだか分からないのだけどモヤモヤする――

そのわくわくするようなモヤモヤが「学び」のゴールとしてあり、

次の「学び」へのきっかけになることもあるだろう。

 

教育などの場面で、しばしば「分かった」「理解した」ということを、「それならば説明してみる」という作業によって分かったか否かなどを判断・評価することがあるように思う。

また、保育や支援という中でも「言葉」にして代弁や共感したり、記録などで「可視化」したりした時に分かった気になってしまうことがあるように思う。

私が中高生の頃よくやったのが、ノートにまとめて”分かった気になっていた”ことだ。

つまり、可視化したり言葉にしたりすることで、人間は「分かった気になる」「学んだ気になる」という可能性もあるように思うのだ。

 

それは、このコロナ禍で”オンライン”という体験や学びの機会が増えたことで私は強く感じた。

今まで情報を得るツールとして、どれだけ言葉(ここでは話し言葉や文字)そして視覚的情報だけに頼ってきたかや、それが情報だと思い込んできたかを思い知った。

オンラインは、私は慣れるまでかなりの緊張と少し怖さも感じた。グループワークでも、初対面の相手だと対面の倍くらい緊張した。変に気を遣って疲れた。情報が少なすぎて相手の感情や状況を読み取るのに苦労したからだ。もちろん今は、かなり慣れて、ほんの少しの緊張はあったとしても怖さはない。

それは、もちろん経験を積んで――ということもあるのだろうが、それを元に想像力を多少豊かに働かせるようになったというのもあると思う。想像力によって順応していくような。

『夜と霧』のように、想像力がきっと人間にとって一つの大きなカギなのかもしれない。

 

永田先生の講座の中で「自己変容」という言葉に触れた時、それと”学び”というものとが私にはなかなかしっくりと繋がる気がした。

学びの過程や学びの一種のカタチを「自己変容」とも表現できるのかもしれない。

その「学び」や「自己変容」は、人やモノ・文化と出会うことと密接に関わっているように学生の頃から感じていた。

ただし、それは必ずしもその出会った瞬間や、その時に訪れたり起こったりするわけではないように感じている。

時を経て自分のなかで巡りはじめるものもあるのではないかと。

あるタイミングが来た時に。

自分の中で頭や身体に残っていた学びと現在進行形の学びとが出会ったときに巡りだすのかもしれない。

こうして今、文字化しているのも、

自分の内で時を経て、時が来て、そうなっている感覚がある。溜まった雫が溢れ出すように。

溢れ出すというか、雨みたいだ。

目には見えないけれど、水蒸気が空に上がっていき、雲となり、時が訪れると雨となって地上に降りてくるような。

満を持して降ってくるという感覚だ。

 

 

【バベルの塔】

溢れ出すという感覚。

それは、言葉にも少し似ている。

子ども達の姿を見ていると、誰かにこの感情を伝えたい!共有したい!という感情が溢れ出すようにして仕草や口から表現が飛び出してくる。

 

しかし、「言葉」とは何か?

「豊か」とは何か?

保育指針を初めて読んだ学生の頃も一度考えた。

言葉の豊かさって何だろう?

コミュニケーション?話すこと?書くこと?

まだ言葉を話さない0歳児や障害者の方、言語が違う外国人の方とやりとりする時、

言葉やコミュニケーションが豊かでないと感じたこともない。

気持ちが通じ合わないとも感じたことはない。

むしろ、豊かだと感じることの方が多い。

これが“心が通じている”という感覚だと思うことが多い。

逆に、同じ言語でも語彙が多くても、気持ちが通じ合うとも限らない。

言葉とは何か?

豊かさとは何か?

ずっとずっと自分の中にあった問いだ。

 

子どもの頃、手塚治虫の漫画『火の鳥』と『聖書物語』が好きだった。

好きだったというか、分かるような、分からないような、少し怖いようで気になってしまい、何度も読んだ。兄の部屋にこっそり忍び込んで。

“言葉”というと、『聖書物語』(旧約聖書の創世記)の中ある「バベルの塔」の例え話を思い出す。

このコロナ禍や3.11の時も何度か思い出した。

私はある意味で言葉の力を畏れる子どもだったように思う。

口にして言葉にした瞬間、例えそれが想像で真実でなくても、真実に近づいてしまうように思っていた。

嘘でも本当になってしまったらと思うと怖かった。今が壊れたらどうしようと思ったりした。

そして、最近別の言葉の怖さに気づいた。

「バベルの塔」の例え話の意味を、ああそういうことなのかなぁと思ったりした。

話のあらすじとしては――

もともとは、世界には一つの言葉しかなかった。ある時、人々は技術や文明を駆使し、協力して天まで届くような塔を作ろうとした。しかし、神の怒りに触れ、建設の途中で人々はそれぞれの異なる言語を話すようになってしまう。言語はバラバラとなり、互いに意思の疎通が出来なくなり、塔も崩壊する。

そんな感じだった気がする。

この例え話の教訓として、主に挙げられやすいのが、“傲慢さは身を滅ぼす”ということ。

“天に届くような”というのを、“神と同じになろうとした”ということと解釈すると、その傲慢さにより人間は身を滅ぼした――ということなのだろう。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』の”ホモ・デウス”や”人類の身の丈”というものにも繋がる気がする。

しかし、この話では一見言語だけがコミュニケーション手段で、言語がバラバラになった途端に意思疎通や対話することの困難さを生じたように読み手が受け取る可能性があるように思う。

けれども、私は最近こう解釈している。

言葉は、単にコミュニケーションや情報を得るためのツールではなく、思考としてのツールでもあると。

言葉の意味を、情報のツールとしてのみ先行して捉えてしまうと、人間は分ったような気になってしまうのではないだろうか。“分かったつもりになる”。バベルの塔の物語における神の怒りは、これではないのだろうかと。

言葉の情報のみで全てを分かったつもりになる。すべてを分かったつもり=神になろうとする。それが神の怒りを買ったのだと。

言語や言葉だけが意識疎通や対話の手段として、それだけを情報と捉えて、言葉で分かった気になったり、全てを理解したように奢り高ぶったり、そんな人間の傲慢さや怖さ・愚かさを言っているのではないかと最近勝手に解釈している。

 

言葉って、難しいし、ややこしい。

便利というよりも、そう思うことの方が実は多いかもしれない。

分かった気になってしまう。言葉がすべてだと思ってしまいやすい。

言葉に隠れて真実や心が見えなくなることだってある。

同じ言葉を語っていても、同じイメージを描いていたり見え方をしていたりするとは限らない。

同じと思い込んで勘違いしているとすれ違いが生じる。

例え同じモノを見ていたとしても、見え方は様々だ。表現も様々だ。

 

必ずしも言葉のまま受け取ることがすべてではないとしばしば思う。

子どもとのかかわりでも、保護者の方への対応でも。

子どもの「抱っこして」は本当に抱っこしてほしいの?それだけなの?

保護者の方からの一見不満や意見に思われるものは、その言葉の通りだけなの?

それらの言葉の背景から想像できる真の思いや心の声はどんなものなのか?

本当の思いや願い・不安はどんなことなのか?それを考えることが本当は最も必要なことで、

言葉だけに振り回されてはいけないと。

 

 

【無人島】

私は、話して伝えるということよりも、書く・文字にするという作業の方が力まず自然でいられる。

きっとそれは、言葉を情報の伝達というツールとしてよりも、思考するツールや(人や自分と)対話するツールとして用いやすいからだと思う。

マルクスは、言葉は労働のために生まれたと。

ルソーは、愛を語り合うために言葉は生まれたと。

ヴィゴツキーは、思考のツールとしても言葉はあると――。

確か、そんな話を村長のぐうたら大楽で聞いた。

私は、思考としてのツールが1番ピンときた。

それは、書くということが思考として自分の中にあり、

保育記録が省察・考察ということとしてあり、

保育の振り返りが保育の振り返りだけでなく、自分の在り方・身の振る舞い方の振り返りとなっていることにも関係しているように感じている。

言葉とは何か?いまだに分からない。

でも、情報の伝達手段だけではないというのは確かな気がしていた。

河邉先生の記録の講座を受けている中でも。

 

今の職場では、1分間スピーチがある。ある時、スピーチのテーマに、「無人島に3つ持っていくとしたら何を持っていく?電波はありません」という心理テストのようなテーマが、ある保育者から出題された。そのテーマの最初のスピーチは私だったため、何だろう?とつい家に帰ってからも考えを巡らせていた。

当時、受講していたぐうたら大楽の河邉先生の講座の影響もあってか、頭に浮かんできたのは「紙」と「ペン」と「写真」の3つだった。

理由は、起こることや自分の感情・状態を書き留めたい(残したい)という思いや、書くことで自分の今・または今の自分と向き合いたいという思いがあったからだ。

そして、生きてまた誰かに会えたり、その紙が残ったりする状況なら、きっとそれを共有したいと思ったからだろう。写真は過去(に撮ったもの)で、「生きる」という過程で、それを紙とペンで今から、そして未来へ繋げる働きがあるように感じて3つを選んだのかもしれない。

私の後の先生たちのスピーチの答えは、“ライター”や“サバイバルナイフ”・“ボート”などとても現実的で、言われてみればそれもそうだと思い、私の答えに「ロマンチックですね」なんて言われ、少し恥ずかしくなってしまったのだが。それでも、「記録」とは、自分にとってそういった希望的なものもあるということにその時気づいた。

 

 

【ヒトをヒトたらしめているもの】

人間学で、ヒトをヒトたらしめているのは何か?という問いが出された。

本の中から祈りや言葉というものが浮かび上がる中、私が絞った答えは5つあった。

①生きる意味を知ろうとする

…アイデンティティ、自己実現、魂――

②よりよく、豊かに生きようとする欲求

…芸術・教育・福祉・医療・労働・財産・宗教・哲学――

③振り返る

…俯瞰して考える、よりよく生きるために。客観性、客観即主観、主観即客観

今を生きながら過去を生きる、今を生きながら未来を生きるという感覚――

④見えないものを見ようとする

…想像を共有する。心を読む→他者の気持ちを想像する。比喩・虚構・理想・魂・死の後の世界。

未来を想像する。言葉によって想像する。

⑤感動する

…心が動く。共感・感情・学び。自然・アート・作品――

 

この中でも、「想像力」は、単に何か空想を抱くということではなく、

例え当事者ではなくても、当事者の立場になって相手の思いや感情・状況・背景を想像するということだ。それを、”共感”や”当事者意識”・”気持ちに寄り添う”と表現する場合もあるだろう。

保育の中では”共感”という言葉が多く使われる。

しかし、しばしばズレて解釈されやすい言葉でもあると感じている。

きっと、”認める”という言葉もあるから、

“共感”と”容認”と“許可”がごっちゃになったりするのではないかと考えたりしている。

例えば、子どもが棚に登りたいと言ったから、”共感”したり”寄り添ったり”して許可したり、許可しようか迷うとよく質問にあがったりする。

でも、そこに子どもが登りたい!と思ったり、面白そう!やってみたい!という感情を抱いたりすることや発達や環境などを含めた背景に共感したり寄り添ったりしても、やることをすべていいよと許可することが必ずしも共感とは言わないだろう。

人間学の中で読んだ本『人類の起源、宗教の誕生:ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』の中で、”共感が暴力に変わることがあるのではないか”という議論があった。

これに私は疑問を抱き、納得も出来なかった。

理由は、上記の“子どもと棚”の事例と同じだ。

こんな酷いことをされたから戦争をしてもいい――とか、こんな酷いことを言ったからみんなに言葉で非難され攻撃されたとしても仕方がない――という状況はないはずだ。

そうしたくなる・そう言いたくなる感情は想像して寄り添ったり、理解を示したりしたとしても、その戦争や攻撃という行動などに肯定したり同調したりすることは共感では決してないし、それは仲間とは言わないと強く思っている。

 

 

【違うと同じ】

最近、少し気になっているのが「多様性」という言葉だ。

気になるのは、疑問に思うことがあるからだ。

これは、単に多様である。様々だということではない。

みんなそれぞれだから、それぞれいいということももちろんあると思うが。

みんなそれぞれ〜だけで留まってしまうと、

みんな違うから仕方がないという解釈となってしまっていることがあるように感じる。

それでは足りない気が私はしている。

金子みすゞの詩だってもっと深い意味があると思う。

もちろん、みんな違ってみんないい。

けれど、多様ということの意味の中には、

みんな“違う”のだが、それでも“同じ”もあるのではないか?ということや、

同じ部分もあるが違う部分もあるというような感じの解釈を私はしている。

全く違うように見えて、同じ部分が実はあったり、私だったらどうか?と引き寄せたり寄り添ったりして想像して考えてみる。

完全には一致しないけど、一致する部分もある。

完全には分かり合えないけど、分かり合える部分もある。

完全なる一致を求める必要もない。

私たち人間は同じ人間であると同時に、全くの別人格でもあるのだから。

ただし、それは理解し合うことを諦めることでもないのだと。

一致や分かるということが支えるに繋がるわけでもないだろう。

一致しなくても分からなくても支え合うことはできる。

そうやって人は繋がっていくのだと。

世界はそうして繋がっていくのだと。

地球はそうして回っているのだと。

全体だけでも見えず、部分だけでも見えず。

両方を交差させながら。

今だけでもなく、未来だけでもなく。

同じことではない中で想像してみる。

 

 

【時間どろぼう】

時間というものも、ある意味では多様なのかもしれない。

同じ人間であるから同じ時間で生きているとは限らない。

同じ感覚で生きたり考えたり、感じたりしているとは限らない。

 

時間というものもとても不思議なものだと思う。

目には見えない。それを見えるように時計にしたというのも、人間って面白い生き物だと感じる。

 

“時間を守る”ということは、当たり前に良いことなのだと疑うことなく子どもの頃から生きてきた。

しかし、ある時それを疑う自分に出会った。

数年前、フランスの田舎へ行った時のことだ。まだそんなにも経たないのに、こんなコロナ禍を想像する術もなかった頃。

そこはバスが定刻通り来ることはなかった。

全く時間通りでなくても、1時間近く遅れたとしても運転手はとても陽気で笑顔だった。

今の日本なら、大問題だろう。

しかし、その状況に、”困った”とは思わず、むしろ”羨ましい”と思ってしまう自分がいた。

時間になってもバスは来ない。

バス停の時刻表を見ても、バスはまだ来ていないのか、それとももうすでに行ってしまっているのかも分からなかった。

その時、生まれて初めてヒッチハイクをした。目的地に徒歩で歩みを進めながら。

映画のようにはいかず、なかなか車は止まってくれない。

スマホのナビを見ながら歩く。

周りは、道の他は長く続く土壁と反対側には崖。それから木だけだった。

考えが甘かったことに気づくも、戻るに戻れないところまで来て途方に暮れていた。

しばらくして、やっと止まってくれたのは一見ちょっと信頼するのが難しそうな風貌のおじさんだった。

最初で最後くらいの人生最大の賭けをしたのかもしれない。

でも、おじさんはフランス語が分からない私たちのために片言の英語を使いながら一生懸命街の素晴らしさや私たちの緊張が解けるようコミュニケーションをとろうとしてくれているのが伝わってきた。

おじさんは、駐車場の他の車にぶつけながらバンを停車させると、笑顔で手を振った。

私たちは依頼通りの場所まで届けてもらい、もちろん無事だった。おじさんを疑ってしまったことを反省したくらいだ。

小心者で石橋を知らぬ間に叩き過ぎてしまう私にとって、あんな冒険は二度とない気がする。

あの冒険も、ある意味では時間を守らないバスのおかげでできたのだ。

コロナが終息したら、いつかあの街にまた行ってみたい。

 

あの、”羨ましい”という感覚に似て、自分が生きている社会の時間軸に疑問を抱いたのは最近のことだ。

コロナ禍でも春は変わらずやってきてくれて、少しずつ彩られていく世界に心躍る感覚を届けてくれた。

都内から田舎の実家に戻り、実家の庭には惜しみなく木や植物が茂っている。

でも、ふと気付いた。

自分の庭に春が訪れていることを味わう時間のなんと少ないことか。

薄暗いうちから家を出て仕事へ行き、真っ暗になる頃帰宅する日々。

なんだかおかしいと気づいた。

『モモ』の”時間どろぼう”がすぐに頭に浮かんだ。

『モモ』が名作と言われる所以を改めて思い知らされる。

“時間を守る”“時間通り”というのは、限られた枠の中に行動を詰め込み、納め、仕切りで分けていく作業のようだ。時は流れているようで区切ったり止められたりしている。

汐見村長が大楽の中で「私の時間軸」と「社会の時間軸」という言葉を使っていた気がする。

それだ!と思った。

私の軸は、私の身の丈に合った時間軸は、本当ならば実はとてもゆっくりなのではないかと最近思う。

でも、時間を守ることや合理的であったり効率性が求められたり、それが良しとされる世界や社会の中で、仕事中はものすごく背伸びをしている自分が多分いる。でも、それは苦ではなく、つい楽しくなったり頼られて嬉しくなったりしてついつい無意識に。だから苦しいことにも気づかないこともある。

 

ぐうたら村では、

「ちゆりさん、急がなくていいよ」

と、ゴリさんやタカちゃんに幾度となく声をかけてもらい、ハッとさせられたことか。

ついつい効率性や合理性を無意識のうちに目指している。

でも、自然が相手だとそうはいかない。

無理をして、枝を突っ込みすぎて機械を壊しそうになった私。

そこで、またハッとする。

でも、そんな自分に落ち込まず、少しずつだけどそんな自分に、ドンマイ!と思えることも増えてきた。

 

私の”いのちの時間”は、本当はとってもゆっくり。まだまだまだまだ。

それでもいい、ゆっくりでもいい、続くように疲れないように背伸びしないことが自然になっていけたらいいなぁと思う。

 

 

【凸凹】

“背伸びしない”

それは、ありのままの自分を知る・認めるということでもあるのだろう。

これは、今の職場で先生たちから教わった。

良いリーダーであろうとどんなに努めても、それは自分からかけ離れた自分であったら苦しくて続かないし、関係が深まる感覚が持てなかった。

たまに少しの背伸びはタイミングが合えば”成長”というものにも繋がるのだろうけれど。

常に笑顔でいなければならないと思っていた。

涙を見せてはならないと思っていた。

愚痴や弱音を吐いてはならないと思っていた。

でも、全部違った。

(もちろん無闇矢鱈にそういう姿は好ましくないだろうとは今も思ったりするが)

 

昨年度、新たな環境・新たな立場になった。

先生たちとの関係を築いていく日々の中で、ある日もう駄目だ~と弱気になって涙腺が緩み、弱音をつい吐いた。

「ちゆり先生も人間だったんですね!何でも完璧だと思ってました~」

と言われ、目が点になった。

もちろん若い彼女には何の深い意味もそこにはなく、ストレートな言葉だった。

私が完璧な人間なわけがない。本当はおっちょこちょいで、凸凹で、すぐにフラフラになる。

でも、理想の自分や理想のリーダーになろうとし、良くあろうとし、かなり背伸びをしていた。

鎧を着ていたのかもしれない。

その頃からだ。自分が解れ、関係も解れていくのを感じた。

仲間にはきっと急にはなれない、でも確実に少しずつ、ぐるぐると螺旋状に築かれていく。

対話をしながら。相手とも自分とも。

鎧を着たままでは仲間にはなれない。

自分の身の丈を知り、ありのままの自分で人とも自分とも向き合うこと。

仲間の輪も人の和というのも、そういうものなのかもしれない。

 

仲間の輪・人の和、みんないるだけでマル、どんな意見があってもひとまずマルというという関係性や職場を目指して、クラスミーティングや職員会議というものとは別に有志で子どもの面白いエピソードや愛らしいエピソードや、保育を語り合う会、MARU会をはじめた。(上記の願いは実はちょっと後付けで、名前の本当の由来は、名前が決まらなくて最初○○会としていたところ、ある職員が「いっそマル会でいいんじゃないですか?」と提案してくれたことをヒントに、社訓とも合わせ決まった)

毎月楽しみな程、少しずつ先生たちの笑いが増え、目の輝きが増えた。

年度末、一年の総括の時、ある先生の言葉にまたまた驚かされた。

「保育士になって初めて保育が楽しいと思いました」と。

子どもが好きで保育士になったものの、保育が楽しいと思ったことが今までなかったというのだ。

保育士になって数年というわけではないベテランの保育者だ。

立場としては私よりも部下にあたる先生だけど、年上の保育者だ。

驚きとともに、その先生の素直さや謙虚さに心動かされた。

その先生は、子どもを可愛い存在、未熟な存在として見ていた時は保育は楽しくなかったとも話した。

そして、子どもってすごい!子どもは自分に何かを気づかせてくれる存在だと感じ、自分の子どもへの眼差しが変わった時、保育が楽しくなったとも話してくれた。

人間ってすごいなぁって改めて思った。子どもの存在はもちろん、年齢に関係なく変容していくことを。

当たり前だけど、年齢は関係ない。年齢もある意味ではきっと社会が決めた時間軸だ。

学び(何か)に向かう姿勢がその人の学びの質となり、自己変容となっていくのだろう。

周りには謙虚でしなやかな素敵な人生の先輩が大勢いる。

そして、私もそうありたいと思う。

背伸びし過ぎず、無理のない範囲で。気張らず、ゆとりや余白を持ちながら。

 

そして、思う。

みんな相互作用し合って生きている。だから、単体は凸凹のほうが面白いし、あえて凸凹にみんなつくられているのだとも。

一人ひとりは凸凹で、たくさんの凸凹が集まったら地球みたいな形になってぐるぐる回りだすかもしれない。でも、例えカタチは歪であったとしてもカタチなんてきっと関係ない。

そんなシチズンシップのコミュニティーになっていけたらいいなぁと思う。

園も地域も国も世界も。

 

 

【キャッチボール】

学びという自己変容は、対話という過程をきっと経ている。

それは会話的な対話だけでなく、対峙して、考えること。

人間学の中で、「読むということは、信じて疑うということ」(誰の言葉だったのかは忘れてしまったけど)という言葉が心に留まった。

 

一回信じないと対話していることにならない。

そして、その後疑うことが信じている世界を豊かにすると。

信じることだけやっていくと暴走すると。ここでいう、「疑う」とは、クリティカルシンキングのことのように感じた。

中学生がみんな泣くという現象の例え話を聞きながら、私は逆にそういう時みんなが泣いているのを見るとなんだか急に冷めてしまって、まるで幽体離脱したように第三者になって見ていた自分の姿が思い浮かんだ。あの頃はそれを隠そうとしていたけど、それが私なんだなぁと今は思える気がしている。

 

“信じて疑うこと”

社会を生きていく、社会を作っていく時に大切なことだと思う。

懐疑主義になる必要はないけれど、意味を問うことは答えを求めることが目的ではなく、深めることや、考えること、仲間と対話すること、向き合うこと、自分や相手を知ること、理解を深め合うこと、支え合うことへきっと繋がっている。向かう先は希望だ。

 

議論することも、それが大切なのだと思う。

決して意見を戦わせるものではなく、学びや思考を深める中で相手を知り、自分に気づいていくものだと。

決して意見や考え・文化が異なるからと言って敵味方と判断するものではないはずだ。

議論や対話は、相手の存在を肯定的に捉えていることを前提で、相手がひとまず受けとってくれようと信頼してキャッチボールするようなイメージだ。

受け入れるかは別として、ひとまずキャッチする。

“共感”のイメージと自分の中ではとても似ている。

共感は同調や同意ではない。

だから、意見が異なることや同意を得られないことを恐れる必要はなくて。

だから、同意が得られなかったからといって、共感されなかったと傷つく必要もないし、

同意できないからと共感できないわけでもないはずだ。

 

あなたはどう思う?なるほど。私はこう思うのだけど、どう思う?

その繰り返しをしながら、螺旋状にきっと深まっていく。

それが対話だと。

それは、きっと自分の中での自分との対話も、その過程は同じだ。

 

 

【私の自然】

私の中の自然は何を欲しているのか?

社会の中の自分と自然としての自分、

組織の中の自分と自然としての自分。

自分のその欲しているものは、どちらの自分なのか。

本当に自分が欲しているのは何か?

私の中の自然。それがきっと身の丈で。

 

私の中の自然にそっと耳を澄ませる。

その子の中の自然にそっと耳を澄ませる。

その人の中の自然にそっと耳を澄ませる。

そこで聞こえてくるのは何なのか?

 

1人ひとりが1つとして同じものがない命の物語。

物語る。物語り。ナラティブ。対話。

語り合うこと、書くこと。記録すること。

それは、私にとって相手(人やモノ)や自分との対話となっている。

それを繰り返しながら生きていき、

それが私のいのちの物語となっていくのかもしれないなぁと。

 

社会の中で自分を生きていく。

世界の中で自分を生きていく。

自然の中で生かされていく。

 

自分の中にある美や意識・価値観なのか?

他者や他者から見られた自分を意識した美や意識・(社会の中の)価値観なのか?

 

飾りや鎧、余計なものを削ぎ落としていくこと。

自然のままの自分も大事にしていくこと。

少しずつ少しずつ。

 

「ちゆりさん、ゆっくりで大丈夫よ」

たかちゃんやかみちゃんの優しい声にまたハッとする。

少しずつ少しずつだ。

ぐうーっとついつい頑張ろうとしてしまっていたら、たらーとして力を抜いて。バランスをとりながら少しずつ。

ぐうたら村での私はとてもドジで、色々とやらかしてしまう。

でも、そのみっともない自分が私の身の丈で、

それでもいいのだと安心させてくれる心地よい場所だ。

みんなの ひとしずく