「卵には殻がある。」という事実は周知の通りです。もっと正確に言えば鳥類や爬虫類の卵には殻があるというべきでしょうか。硬い殻を持たない両生類や魚類、そして昆虫の卵もたくさんあるのだから。
でも、今日はそんな話には用がありません。(だって、もっと詳しい生物博士がこの世界には溢れんばかりに沢山いるんだからね。)じゃあ、何について書くのかというと、口語で一番よく使用する「卵」について、すなわち毎日の食卓に上がる鶏卵についてです。そう!卵焼きや目玉焼きのような卵料理でお馴染みの、それ!そんな卵と殻と「皮」についての複数の経験的事例の報告、そしてそこから浮かび上がってくるserendipityという語の概念に関する割と普遍的な考察を拙文ながら展開させて頂きます。めっちゃ暇なときにでも、今どきの21歳大学生はどんなことを思い、それからどのように動き出すのか、という思考と行動のプロセスをおもしろ半分で眺めてみてください。
はじめに
2019夏、僕と「卵の皮」との出会い。いや、思い直してみればもっと昔に出会っていたのかもしれない。その些細な存在に気を留めていなかっただけである。日頃からよく知っているモノの一部の豹変は衝撃的で、圧倒的で、そしてほんのちょっとだけ幸せな気分にしてくれるものだった。その“serendipity”を自分だけのものにしてもよかったのだけれども、少し誰かと分かち合いたいなとも思えた。
報告
1.8/17/2019の事例
日時:令和元年八月十七日朝 場所:ぐうたら村(山梨県北杜市)
早朝から真夏の真っ赤な朝日が木々の合間から差し込み、暖かいひかりでぐうたら村を包み込んだ。なんていうのは大嘘で、雲に覆われ、どんよりと重たい空気。そして、しっとりとした朝露が草の先にちょこんとぶら下がっている。
当地ではちょうど前日からぐうたら村子どもキャンプ2019が始まっていた。ただ、事前のスタッフミーティングでの予測に反して、朝の子ども達は眠そうで普段の活発な彼らの姿とは程遠い。もちろん彼らだけでなく、通勤途中に目に入る地下鉄駅のコンクリート天井のような「雲空」の下では大人のスタッフ達も鈍く、重く、低調な動きの中で淡々と朝ごはんの準備を開始した。まあ、そんな朝だった。しかし、子どもとは面白いことに朝食の実物が目の前に展開され始めると、突如として目を輝かせ、いつものモードにスイッチが入る。それを機敏に察したスタッフ達もギアをガンガンと上げていく。長い長いキャンプ二日目の始まりである。
朝ごはんはホットサンドと目玉焼きである。どちらも子どもが自分たちで作るというのが肝だ。筆者はしゅんくんとともに目玉焼きステージの安全管理とほんのちょっとしたサポートに当たっていた。(ここから本報告の要点に入る。)
半切りドラム缶の中の火に薪をくべ、その上に大きな鉄板を置き、最大四人同時に目玉焼きを調理できるように準備した。そこにお腹を空かせた子ども達が我先にと集まってきて、目玉焼きを作り始めた。だが、ここで全く想定していなかった事態に直面した。そう、卵がなかなか割れないのだ。もちろん中学生の女の子たちや高学年のみんなは難なく割っていくのだが、力加減のわからない低学年の一部の子たちは苦戦していた。一通り取り組んだ後、彼らは助けを求めにやってくる。
「ねえ、『皮』があって割れない!」「割れないよ〜だって『皮』があるんだもん」
・・・はい?「皮」とは?お兄さんそんなの知らないぞ。
「どれどれ〜」「あれ?なんだコレ?」
確かに、彼らが持ってくる殻がバキバキに割れた卵には白い薄い「皮」で形をとどめていた。当然大人が思い切り割ってしまえば割れてしまうのだけれども・・・
2.9/4/2019の事例
日時:令和元年九月四日朝 場所:ウズベキスタン共和国ブハラ州ブハラ市の宿屋
数日前にカザフスタンから陸路で国境を越え、ウズベキスタンに入国した。そして、前日の九月三日早朝に首都タシケントからおんぼろの寝台特急でブハラにやってきた。そこは古都として紀元前から有史に名を刻むオアシス都市である。私たちの母国では信じられないくらいに、この世界の端から端まで澄み渡たる青空。何百年も前からその地に立つミナレット。ウズベクの太陽を浴びて青白と照り映えるメドレセ。そして、ちょっぴり砂っぽい旧市街。人は優しく、子どもは「世界遺産」の路地裏でサッカー。こんなご時世にどこにでもあるとなんては簡単に言えない、そんな情景が広がる町が、ブハラ。
この宿屋はとってもアットホームなので、ココを拠点に数日ブハラ近郊をぶらぶらすることにしよう。と、こころに決めて滞在している。とても社交的で、気立てが良く、笑顔が素敵な家族が営んでいるからね。僕は寝室を出て素敵な中庭を一度通り過ぎてから厨房に向かうと、世界中からやって来たバックパッカーたちが眠そうな顔で女将さんに朝食を頼んでいるのが見えた。もちろん僕も彼女に伝え、まだ高くは上りきっていない朝陽が差し込む中庭で待っていた。持ってきてくれた朝食はミルク粥、ナン、ゆで卵、クッキー、ジャム、紅茶。さあ、ゆで卵を食べようと割って剥き始めた瞬間。
「あ、」
数週間前に見たあの「皮」がそこにあった。
3.9/10/2019の事例
日時:令和元年九月十日朝 場所:ウズベキスタン共和国サマルカンド州サマルカンド市
中央アジア放浪し始めて3週間目に入った。旅の出立と同時に生やしはじめた髭がなかなか蓄えられて来た。すでに京都を離れて6000km。ユーラシア横断の夢の実現までちょうど半分。中途半端にして最高の日々。弱々しく最強の大学二年生の夏。
青の都:サマルカンド。アレクサンダー大王をして「話に聞いていた通りに美しい、いやそれ以上だ」と言わしめたとか。「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」とココを讃える形容の表現はこれでもか、これでもか、とある。そんなとてつもなく美しく古く青く輝くオアシス都市。
サマルカンドにやってきて3日目。なんだか曲者しかいない安宿に滞在している。ドイツ人の姉ちゃん達は明け方パンツ一丁で中庭歩き回っているし、ダビド・ビジャ似のスペイン人はナンパばっかするくせに金は払わず滞在しようとして宿の主人に怒られていた。とにかく濃いメンツだ。まあ、そんなこんなで一生記憶に残りそうな宿なんだ。
今日は友人と70km離れた古都シャフリサーブスに行く予定だ。早めに食事を済ませて出発し、レギスタン広場の前からシェアタクシーで向かおう。ボラれないようにだけは気を付けなければ。さあ、朝食のメニューは例のようにミルク粥、ナン、紅茶、そしてゆで卵2個だ。「皮」があることはもう知っている。利用してやるまでだ。
ゆで卵の表面に無数の亀裂を入れ、親指の側面を使ってスルスルと剥いていった・・・
考察
上記1-3では、自己の個人的経験に基づく事例報告を行った。個人体験というと客観性が著しく低下する恐れがあるが、この場合においては問題とはならないと認識している。なぜなら、多くの人々が卵殻膜(「卵の皮」)という存在を経験知として既に獲得しているからだ。様々の分野でこれに関する多くの先行研究が存在している。そして、最新の研究では卵殻膜から美容成分を抽出することに成功しており、美容商品として実用化もなされている。
となると急に「卵の皮」に関する本報告が急に無意味なもの感じられてくる方もいるかもしれません。大丈夫、心配いりません。では、何の話がしたいんでしょうね。
本題は上記1-3における「偶然的な気づき」についてです。いわゆる、“serendipity”に関しての思考メカニズムと思考プロセスに対して、丁寧にアプローチしていこうと思います。そう、ここに来て別に「卵の皮」なんてどうでも良くなるんです。それが卵殻膜と呼ばれ、実は内卵殻膜と外卵殻膜に分かれていようとも。(勿論、学術的知識として非常に重要です。)
“serendipity”という単語はイギリスの小説家であるホレス・ウォルポール伯爵(Horace Walpole, 4th Earl of Orford)が著作The Three Princes of Serendip(邦題『セレンディップの3人の王子』の中で生み出した造語である。セレンディピティの意味は「求めずして思わぬ発見をする能力。思いがけないものの発見。運よく発見したもの。偶然の発見。」(デジタル大辞泉より引用)とされている。そして、その偶然的な発見には幸福が伴うとされている。
また、特に自然科学分野では多くの科学的な大発見がセレンディピティに分類されており、アレクサンダー・フレミングによるリゾチームとペニシリンの発見や、田中耕一によるMALDI法の発見が例としてあげられる。自然科学においての実験の試行と失敗と偶然性に依拠した大発見というものは、ある意味常識的なプロセスの一つであると表現できるのかもしれない。
本報告において、serendipityを得られたのは事例1である。すなわち、生卵が非力であるがゆえに割れない、目の前にある「卵の皮」の存在を認識した瞬間から次の「卵の皮」が登場してくるまでの間に偶然なる「大」発見に至るわけである。そして、事例2においてはその発見に対してある程度一般的な確証が得られた。したがって、事例3はもはや自明のモノとして扱う態度を示している。ここにおいての事例1はもちろん単なる偶然なのではあるが、トリガーとしての子ども達の存在がある。非力で卵が割れないという意外性は通常起こり得ないものである。ゆで卵に膜があることは正直知っていたけれど、生卵にもそれがあるという事実を突きつけられた。すぐに吸収しきれないが、ゆっくり考えてみると当然である。それなのにもかかわらず、今までその可能性について慎重に深く検討したことはなかった。
という風に固く固く、でも昨日まで考えようもしなかった新しいことをドンドンと思考していくことが可能にしてくれるのがserendipityである。まあ別に知らなくても良かったけど、知ると新しい世界が開け、昨日までの自分から少し変われた気がする。成長だなんて素晴らしい言葉で表現するのは傲慢なんだけれども、ちょっとだけ自分を幸せな気分にしてくれた。そんな最初の最初のきっかけをくれたのが、今回はたまたま子ども達であったというお話です。そこを深掘りする野暮はしません。おしまい。
結びにかえて
こんなふざけたエッセイを最後まで目を通して頂いた方がいらっしゃれば、有難うございます。歴史学研究に関する論文執筆の合間に今夏の振り返りについて簡単に書かせて頂きました。レポートぽい構成なのに言葉は口語的ないし、物語風にしたのはちょっとした遊び心かもしれません。もしくは普段エッセイなんか書かないので、自分に馴染みのあるスタイルにしてしまったのかもしれません。
この本文を書く契機はぐうたら村子どもキャンプ2019にスタッフとして参加し、キャンプ終了後に「何かエッセイを書いてみてくれて」と言われたことです。とても悩み抜いた末、子どもキャンプの時の所感を中心に、話を「少しだけ」膨らませて、己の頭の中に侵入することを試みました。そういや高校時代、野球部でやたら“serendipity”という言葉聞いたなー。懐かしいなぁ。なんて考えているうちに存外筆が進んでしまいました。
現在、私は考古学研究会というサークルに所属しており、考古学に関わる周りの学生が「観察・報告・考察」という順序で遺物と向き合っている姿を横目に見て(私自身は考古学ではなく歴史学を専門とする予定なのですが)、「そうだ!これも“serendipity”ではないだろうか」と思考が始まっていきました。考古学という学術研究分野では、みなさんが思っているほどは「なんでも鑑定団」に出てくるような骨董品が重要視されていません。高価で希少性の高い「お宝」よりも、庶民親しまれた土器のような普遍性の高い遺物がたくさん出土することの方が大切なんです。当時の生活を明らかにするためには、より類例の多い遺物の破片があるということが重要で、specialなモノよりも学術的には大きな価値を持つのです。このように私の仲間たちが遺物の類例を探して並べることは地味ですがとても大切な作業でして、その繰り返しの中からあるとき偶然大きな発見を得ることができるのです。
私たちもそんな幸福の“serendipity”にいつか出会えるといいなと願い、この夏の小さくて身近な“serendipity”との遭遇について書いてみました。