ぼくは50年以上前に、大学生活を送るために大阪の堺市から東京に移住した。以来ずっと東京に住んでいる。
東京では目黒区の東山という都心部の街に下宿した。しばらくして、ずっと育ってきた堺とどこか違うという、言葉にできない程度だが、でも確実な違和感を感じるようになった。
あるとき、その違和感が、日頃の生活の場から周りを見ても山が見えないということから来ているらしいと気がついた。東京では、周りに山があまり見えないし、山に囲まれているという感じが味わえない。のっぽビルのない当時でもそうだった。
堺は東を見れば生駒山とか信貴山、二上山のような生駒山地の山々が遠くに見え、南を向けばずっと向こうにもっと大きな紀伊山地の山々が見えた。空海が入山した高野山も紀伊山中にあるし、真田昌幸、幸村親子が人生で一番長く暮らした(蟄居させられた)九度山もその傍にある。
ぼくは、子どもの頃、自分の家の二階の窓から、これらの山をずっと見ているのが好きだった。生まれ育ったその場の風景、つまり周りに、遠くだが、山があって、いつも静かにたたずんでいるという風景が、いつもある、心の深くにこびりついた原風景と感じて育った。アフリカの中部に大地溝帯という大規模な窪地があり、そこに象やキリン、ライオン、無数のヌーたちがくらしているが、彼らも地溝帯に囲まれているという安心感の中で生きてきたのではないだろうか。
でも、東京ではそうした山がまったく見えない。電車に乗って埼玉に行くとその傾向はもっと強くなる。浦和、大宮当たりでは、望遠鏡でもない限り、周りに山は見えない。ずーーーーっと、ずーーーーっと、平地だ。
堺出身のぼくは、これには恐れ入った。こんなところが日本にあったんだ、という驚き。
でも、ぼくには、この風景は何となく落ち着かなかった。
遠くに山があって、その山に囲まれて生きているという状況が実際にあると、人間には大きな不動のものに包まれて生きているという感じが生まれる。何となくそうなる。包まれている、抱かれている、という安心感だ。
でも東京にはそれがない。
被災して大きな体育館での生活を強いられる人々が最近よくいるが、周りに仕切りがない、だだっ広い空間で生活すると、人間はみなストレスが強くなり疲れる。プライバシーが守られにくい、という理由だけではないと思う。何か大きなものに包まれ、囲まれているという実感がないと人間は安心感がえられず疲れるのだ。
子どもの頃、山をずっと見ているのが好きだったのは、多分、見ているといろいろ想像力が働いたからだったと思う。あの山には何があるんだろう、あの山の向こうにはどんな世界が広がっているんだろう……。いつもそんなことを考えていた。見聞の少ない子どもには、山は未知の世界への入り口、境界だったのだ。山はぼくに問い、誘う存在。その向こうは未知だが、やがてそこに誘いこむ、そういう入り口。子ども時代は、その入り口の手前を生きるのだ。だから安心だし、夢や希望がそこで育まれる。
ときどき、その山の向こうへ行こうという気になって、堺から自転車で奈良県との境の生駒山や信貴山に向かった。和歌山県との境まで行こうとしたこともある。小学生の頃だ。朝、家を出る。どこまで行けるか分からない。ひたすら山に向かって走る。
でも途中で、日が暮れかかり、今日は無理だと引き返す。悔しいが、またチャレンジしよう。そんなこと何度やっただろう。
山に囲まれた空間は、子どもの心のそこの向こうに夢を見つけようとする模索の舞台であり、ぼくを包み込んでくれる安心感満載の母胎だった。
ぼくが、子どもが生まれてしばらくして八ヶ岳の麓の森を少し分けてもらって山小屋を建てたのも、今その近くで、ぐうたら村という、みんなが心から笑顔になれるようなエコビレッジをつくろうとしているのも、きっと、そうした山に包まれて生きるということへのあこがれが都会に移り住んだぼくの心の深くに胚胎したからだと思う。
山に包まれていてこそ、ぼくの心は今でも落ち着くのだ。
八ヶ岳の麓には縄文遺跡がたくさんある。縄文人も、ここなら山に包まれて気持ちが落ち着くし、水も豊かにあり、エサにも事欠かないと思ったから棲みついたのではないか。
なのに、東京はのっぽビルばかり建ち並び、時々ところどころで見えていた富士山も全く見えなくした。東京では西の端の八王子あたりに行かないと山が見えない。どうして遠くの山を、自然にはない人工的な直線だらけの建物で覆い隠すのだ。そんなことをして何がうれしいのだ。とがった直線が目の前に迫ってきて、ゆったりと曲線の山に守られているという感覚が得られないと、イライラが増すだけではないのか。
今、八ヶ岳に向かう中央線に乗って窓から外の風景をみている。山の形がそれぞれ違い個性的で、見ているだけで興味が尽きない。山並み、山肌、どれを見てもアジアにもヨーロッパにはないものだ。
ぐうたら村からは富士山、南アルプス、そして八ヶ岳の山々が目の前に見える。ぐうたら村はそうした山々に囲まれ、守られ、抱かれている場だ。ここであれこれを考えると、ぼくらの命が、自然に、山に、包まれ、抱かれている実感の中で思考することができる。それは生きることの喜びや面白さの原体験に触れることだという気がする。